「ゴジラ-1.0」は深い意味を訴えていた今までで一番良かった作品




【ゴジラ-1.0】この映画は昨年末(2023年末)に公開されて、日本で初めてアカデミー賞の視覚効果賞を獲得した作品となりました!

ゴジラの映画は子供の頃に観に連れて行ってもらった昔の映画(1970年頃)から以降全く観に行くこともなかったものでしたが、今回はアカデミー賞の話題もあってか何故かこの作品は興味が出て、実に約半世紀振り観に行ってみようと思ったのです。

今回はサイト名となっている「あの頃の懐かしの映画パンフレット」ではありませんが、SF邦画作品としては近年には無い感銘を受けた作品となりましたので今回特別に記しておこうと思いました。

 

監督  山崎貴
脚本  山崎貴
製作  山田兼司 岸田一晃 阿部豪 守屋圭一郎
製作総指揮  市川南 臼井央 阿部秀司

音楽  佐藤直紀 伊福部昭
撮影  柴崎幸三
編集  宮島竜治

*出演者
敷島浩一 役 神木隆之介
大石典子 役 浜辺美波
水島 四郎 役 山田裕貴
橘宗作 役 青木崇高
野田 健治 役 吉岡秀隆
太田 澄子 役 安藤サクラ
秋津 淸治 役 佐々木蔵之介

制作会社  TOHO スタジオ  ROBOT
製作会社  東宝
配給  東宝
2023’11

昔からゴジラ映画は単に「怪獣の恐怖」というシナリオ感があったのですが、今回のシナリオには「今までとは違う何かの訴えや深い意味」を含んでいるかの様に感じたのでした・・

というわけで、今回この映画を観ての感想と感じた深い意味を『簡単なあらすじ』の後に付け加えておきたいと思います。

【物語の簡単なあらすじ】

太平洋戦争も終わりを迎える1945年、一機の戦闘機が小笠原諸島にある小さな島へ着陸した。乗っていたのは特攻隊の敷島浩一で、彼は途中で零戦が故障したと偽って引き返していたのだった。

そんな夜、突然に守備隊基地が得体の知れない怪物に襲われたのである。敷島は整備兵橘宗作に戦闘機の機関砲で応戦してくれと頼まれたにもかかわらず、尻込みして使えず守備隊はほとんど全滅の状態に。運よく逃れた敷島だったが、橘宗作に失望を与えてしまった。

東京へ帰った彼は空襲によって瓦礫と化した街をみる。そこに家族は居なくかろうじて残った実家の跡だった。

ある日、ふとしたことから街で出会った典子と赤ん坊の明子を家で泊めてあげることになった。やがて彼は機雷撤去する仕事を見つけ技師の野田、船員の秋津と水島と共に従事することになった。

欧米諸国による太平洋での原爆実験は続いており、それの影響によってあの得体の知れない怪獣にも変化をもたらしていた。

終戦から2年後、太平洋を航行する艦船や潜水艦に謎の被害が発生するようになる。その範囲は日本へも近づいてきて、ついに日本近海に被害が及んだ。

そしてついに機雷撤去係の敷島たちも巨大化した怪獣に遭遇。機雷を使って応戦するが、その怪獣の修復能力に驚くばかりだった。

駆け付けた巡洋艦が砲撃したが、怒った怪獣が放った放射能熱線によって撃沈させられてしまったのである。

やがて東京湾へ向かって進んでいく怪獣「ゴジラ」だったが、政府はそのことを民衆には警告していなかった。

そしてゴジラは東京へ上陸し、品川から銀座へ向かって行った。銀座にいる典子を探しに行った敷島だったが、ゴジラの放った恐ろしい熱線による爆風で離れ離れに。

戦争で焼け野原になった東京は少しづつ復興してきたところだったにもかかわらず、再びゴジラによって瓦礫と化してしまったのである。

この怪獣ゴジラを退治するための計画が立てられたが、それはあくまでも政府ではなく民間で立ち上げる有志たちの形であった。

技師の野田が立案したのは、深海へ静める急激な水圧および深海から引き上げる減圧を使った退治方法だった。

敷島はあのゴジラと戦争のトラウマを終わらせるために、自分の人生を賭けて再び戦闘機での特攻を考えた。そこで見つけたのは終戦まじかに設計されていた迎撃戦闘機「震電」だった。

↑「震電」実物大模型 大刀洗平和記念館より

この戦闘機を整備できるのは橘宗作しかいないと、会いに行くのだった。決死の覚悟を知った橘は引き受けることになったが、敷島を特攻で死なせる気はなかったのである。

そしてついに作戦の決行する時がきた。戦後に残った駆逐艦数隻を使ってゴジラに近づき、装置を使って深い海へ沈めて再び浮き上がらせる段階へ移るのだったが、ゴジラの力は思っていたよりも強力だった。

再び怒ったゴジラは放射能熱線を吐き出す様相になっていった。それを感じ取った敷島は、特攻から逃げた「戦争のトラウマを背負って」爆弾を抱えた震電と共にゴジラの吐きだそうとしている口へ突っ込んでいったのである!

ゴジラの口に突き刺さった震電は爆発し、放射能熱線を蓄えていた体ともにバラバラとなっていった。駆逐艦に乗って観ていた野田が上を見ると、そこにパラシュートが開いているのに気が付いた。

爆弾の起爆装置ボタンを押すと脱出装置が作動する仕組みを、橘は機体に組み込んでいたのであった。

戦いは終わったある時、爆風で飛ばされて行方不明となっていた典子が生きていることが分かった。

戦争とゴジラによって瓦礫と化した街・日本。そしてそこは生き残った人々によって再び少しづつ立ち直っていくのである。

いやぁ~確かに今回のゴジラ映画は、賞を獲得するに値する優れた進化的CGグラフィック技術で作られていましたね~!

しかし、今のSF映画は当たり前のようにCG映像技術が使われているので、初めて観た時のひと昔前のような感動は得られなかったのは仕方ありません。

ゴジラ自体については、なんかアニメチックなデザインにも見えて良かったとは言えませんが、やっぱり何と言っても物語のシナリオが良かったと思います。

ゴジラという天災・災害は、「放射能汚染を生み出している人類による人災」なのではないかということを地球にいる現代人に訴えているシナリオだったといえるのです。

実際に放射能による遺伝子の変化で巨大化したという生物も発見されているようですし、太平洋で何度も核実験をしたことによる影響は何かしらあると思うのです。

原子力発電というのは人類にとって大きな便利を得られたことなのですが、同時に放射能の影響も抱えてしまったわけですから何とも皮肉なことです。

地球に住まわしてもらっている我々は、その住処を大事にしなければならないはずです。でなければ、地球は様々な天災などを起こして人類という毒物を排除し始めるでしょう・・(今も世界で洪水や寒波・熱波を起こしていますが・・)

実に久々に映画パンフレットから物語を想い出し今回記してみましたが、この映画を鑑賞した人たちの中で一人でも多くの人が(シナリオの訴えていることを)悟ってくれていることを願うものです。

 


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