タイムスリップなのか幽体離脱なのか不明な映画「地下鉄に乗って」




気が付けば、今度は二人して再びあの日の新中野駅の出口にいた。

雨の中、電話ボックスで母と話している兄が居た。「おまえの本当の父は戦死したんだよ・・

あの夜、兄貴は母から言われた真実にショックを受け、自ら走ってきたトラックに身を投げ出したのだった。

兄の事故を見て大きく肩を落とした真次は、雨の中みち子に手を引かれて歩いていくと、長い石段の上にあるバーを見つける。

そこはあの時のお時が営む店で、既に彼女はアムールの子をお腹に宿していた。

二人がオムライスを作ってもらい食べていると、そこに父(小沼佐吉・アムール)が入ってきた。

そしてまた、あの時と同じ夢を語り兄を想って嘆くのだった。

しばらくして「お時、このお腹の子は [みち子]って名前でどうだい・・」と、父が言った言葉に真次は驚く・・。

みち子は自分のことを嬉しそうに話す母(お時)と父(小沼)を見て、とても嬉しくて泣きだすのだった。

お時は優しくみち子を外まで送ってくれると傘をさしてくれたが、すでにその時みち子は何かを覚悟しているかの様だった。

母の幸せと、愛する人の幸せとどちらを選ぶべきでしょうか・・」と問うみち子に

お時は「親は自分の幸せを子供には求めないわよ」と言ってくれた。

お時を抱きしめたみち子は「お母さん、ごめんね・・」と呟くと、彼女を道連れに石の階段を落ちていったのだ・・

それを目にした真次と佐吉は慌てて追いかけるが、お時のお腹の赤ん坊の死産と共に、真次の腕の中に居たみち子は消えていったのである。

気が付くと地下鉄に乗っていた真次は、急いで会社へ向かった。

しかし、みち子の席には違う事務員が座っていて、会社にみち子という存在はなかった・・。

今までの事が何だったのか分からないまま、真次は父の見舞いに行った。

そして、病室で見つけたのはアムールに渡した自分のあの腕時計だったのである・・。

地下鉄のホームに座ると、また中学の時の先生と逢った。

お父さんとは会えたのかね?

そして、父がなくなり墓参りに母と弟と行った真次に、弟が言った。

父が最後に言ったんだ。この会社を作ろうとしたきっかけは、ある男との出会いだったと・・

あの戦後の時代に立派な服を着た男に出会って、その男の持っていたスーツケースには沢山の絹の下着が入っていたらしいんだよ・・

そして、またいつも通りに地下鉄を待つ真次がいた。

ベンチに座って地下鉄を待っていると、ふとポケットに何かが入っているのを感じる。

ポケットから取り出すと、それはみち子の指輪だった・・

 

– 完 –

いやぁ~!今あらためて思い出すと、いろいろと分からないシナリオが沢山ありましたね~!

度々に過去に飛んでしまうタイミング(起動)が、地下鉄とは関係ない所でも起こってしまうので、やっぱり(これは意識上(精神的レベル)のタイムスリップなのか何なのか)はっきり分かりませんでした~。(でも多分これは幽体離脱的タイムスリップだとは思いますけど・・)

それと、過去が変わってしまったので結局最後にはみち子の存在は無くなってしまったわけですが、みち子の指輪だけは残っていたこともタイムパラドックスで分かりません。(不倫相手のみち子が、実は母違いの妹だったのは意外でしたけれども・・)

人間ドラマ的なシナリオですから仕方ないとしても、ある程度は「なるほどね~!」と感嘆させてもらえる様なシナリオは欲しかったなぁと思いました。

 


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